れーこの叫び                 


ものわすれ

夫、じゅんじに指摘されるまでもなく
妻、れーこは記憶力がない
日頃からぼけーとしているから、
今見た物は何かさえ 次の瞬間に忘れ
「今見たものは なんだっけ〜〜〜」
と、自信がなくなり、
これはもうボケ?と思うことがあって空恐ろしい

こんな私が ちゃんとした生活を送るはずもなく
しょっしゅう あれがない これがないと
河合家では あれ〜?、あれ〜?の声がが今日も響くのであります


ある陽気のよろしい時、コーヒーの粉がないよといわれ
買い物に行くんだけど 品物の山を前にして
あらこれは、ほらあれは、そうそれも、と手を出すうちに
満足しきってしまい、ああ買った買ったと家に帰り
玄関をあける瞬間に 「あっつ!!コーヒー!!」と叫ぶ私
(T_T)

その次の日 よし今日こそはと決意を固め
人に聞かれぬ程度に 『粉・粉・粉・粉』と呟きながら行くとそんな日に限って
「あっ、かわいさ〜ん」と呼び止められ ハラホレヒレハレ〜とついつい話し込み
私、何言ってたっけと思い ダイエーの地下を3周した挙句
そう粉!と思いだし、片栗粉を買って
じゅんじさんが沈没したのであった

そして キレかけているじゅんじさんが
「あのね、これを買ってくるんだよ〜、おりこうだね〜、できるかな〜
(−−〆)
とは、言わないが メモを書き書きするのだけど
わかった、わかったといいながら、見事にメモを忘れる私
しかもその時は、ケータイ電話まで忘れたというおまけ付き

じゃあと、ぎゅうぎゅうと鞄にメモを押し込まれ これで安心と思っていると
メモを見るのを忘れたとかね
こんな時は 
「私バカよね〜〜 おバカさんよね〜〜
後ろゆ〜び、後ろゆ〜びさされえても〜
と思わず涙しながら 歌っちゃったりするが
なぜ、忘れるといわれても うーーーん、そんなこと言われてもと なるばかり



思うに、こーゆーそこつなことがあると、本人が一番 
「いやあーーーー!!」
思っているから 早く忘れたいのですな
こんな そこつばかり覚えていても 暗くなってしまうから
のど元過ぎればなんとやら〜で なんだったあ あはは〜と忘れて明るくなるのですよ
奥さんは明るい方がいいでしょ、ため息ついてる奥さんはやでしょ
そこつがあるから 忘れようとする、忘れようとするから そこつか多い
そこつか多いから・・・・・・、ええい どっちが先だやら・・・・・・
そこつが多いほど 脳が忘れよう忘れようと努めるから ついでに必要なことまで
消去するんではなかろうかと 分析するのだが そこつ学会の見解を待つ


まあ、こんな快挙を挙げれば暇がない
(「快挙はいいことに使うのであってこの用法は間違っているっ!」と思った皆様・
あえて 快挙とつかわさせていただきます)
レジで買った物をそのまま置いてくるとか、サザエさんじゃないが財布を忘れて
買い物に行ったことなんか しょっちゅうな 愉快なれーこさん




じゅんじさんが ぷりぷりしているのは
よーするに なぜ 進化しないかというとことらしい
忘れ物をするなら、メモをしろと、貼っとけと、言うているのですわ

でもさあ、私がそれをし始めたら 家中がメモだらけになって
そっちの方が なんか別のびょー気になりそうで 厭じゃん

それと、外での私の評価が 社交辞令であろうとも
「いや〜、奥さんはよくやっていて」なんていわれるもんだから、
なんだ、できんじゃんと それをどうして家でやんないかと 疑問を感じるらしい
まあ、外でそこつも披露するんだけど 
のほほーンとして心配事があまり頭に浮かばないゆえ
最終的に物事落ち着くよーにできているので あまり失敗事はないし(時々するけど)、
不思議なことにあんまり忘れ事はない(やっぱり時々あるけど)
でも、みなさま 河合家の平和を思うなら
「いやあ、奥さんを お世話してお世話して〜」と言ってもらえると
うんうんとじゅんじさんも 納得するのかもしれない
誰か 言ってみてください
また私は基本的に読みは得意だ(でも書きは苦手だ)
だから この頃はやりのクイズ番組なんかで わかると 得意げに答えるけど
それも疑問を感じるらしい



まあ、日常生活 気を入れて生活してたら疲れちゃうでしょ
ふつーが これなんだから 悟りなさい じゅんじ


ハレとしての 外の評価は 社交辞令及び 過剰評価だから そのうちばれるから・きっと
クイズは…天の声だよ、きっと
こー見えても 子どものころから 本の虫で百科事典が愛読書だったから
それがふっと掘り起こされるのだよ




「あっ、そうか老人は子どもの時の記憶は忘れないもんね!」


「私は、老人かーーーーー!!」




お後がよろしいようで・・・・(^_^;A

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