れーこの叫び

春が来た

哀しい春である
多くの命が失われ、自然の前に無力な私たちを
自覚した春である
文明に振り回されている春である
無力な自分に何ができるのか
私たちに突きつけられた春である



お気楽れーこでも
この度の震災に被災された東北を思うと哀しい
できるだけの事をと思うが
なけなしのお金しかなく募金するにも
歯がゆい思いでごめんね、こればかりでと思う


~川のほとり~ 笠木透作詞
めぐる春の水光る 川のほとりのねこやなぎ
春を告げる花なのに 心を開く人はなし
めぐる夏の雲が行く 川のほとりの月見草
一夜限りの花なのに 心を寄せる人はなし
同じ土同じ草変わりはないのか悲しいぞ
人は去り時は流れ変わっていくのか悲しいぞ

めぐる秋の風が吹く 川のほとりの彼岸花
真っ赤に燃える花なのに 心を許す人はなし
めぐる冬の雪が舞う 川のほとりの枯れアザミ
後姿の花なのに心をとめる人はなし
同じ土同じ草変わりはないのか悲しいぞ
人は去り時は流れ変わっていくのか悲しいぞ


東北にこの歌はよく似合う
この歌のように
人がかわっても 自然は変わらないはずだった
今 このうたを歌えないけれど
宮崎監督も言ってたように
自然はたくましい事を 信じよう
人を笑うようによみがえると信じて
最善を人は尽くすしかないのだろう
そしてまたこの歌の情景が還って子どもに残さなくてはいけないのだ


~私の子どもたちへ~ 笠木透作詞
生きている鳥たちが生きて飛び回る空を
あなたに残しておいてやれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい山が見えるでしょう
近づいてごらんなさいこぶしの花があるでしょう

生きている魚たちが生きて泳ぎ回る川を
あなたに残しておいてやれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい山が見えるでしょう
近づいてごらんなさいリンドウの花があるでしょう

生きている君たちが生きて走り回る土を
あなたに残しておいてやれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい山が見えるでしょう
近づいてごらんなさいこぶしの花があるでしょう

この歌を思い出した
臭いと言われそうだけれどまじめにそう思う
YUーCHUBUで検索すると歌も聞けます




私にできることは何だろう
せめて東北の物を買おうと思う
食べようと思う
だから、すーぱーの皆さん
出してください、福島だって、茨木だって、岩手だって
私は 食べます

口蹄疫のときだって思った
人体に害はないというなら出せばいい
私は食べる
殺されていく命が無駄死にだ
あと何年私は生きると言うのか
子どもよりは短かろう
害はないというなら 出せばいい
喜んで食べる、それで少しでも命が生かされるのなら
無駄死にさせるほど 人は偉いのだろうか

今回の葉ものだって、害はないといっている
ゆでればもっと減ると言っている
それにすぐ死ぬわけではない
私は食べます

そんな人も結構多いのではなかろうか


と、シリアスな事をこたつにもぐりこんで
カメとなりながら考えていたらじゅんじさんが
流しに向かい洗い物を始めた
実は3月に体調を崩し 寝込んだ後
(3日くらいとにかく死人のように寝て
医者に行かずに治したから原因はわからない)
やっと物が食べれるようになり
日常にもどれるかなと自分でも思った時
じゅんじさんが
「もう明日は あなたおきれる?」
(子どもを5:30に起こし弁当をつくってもろもろをする?ということ)
といったので
寝つきがチョ~~~~悪い日々が続いていた私は
すご~~~~くむっとして
「いいけど、また早起きが続いて 体調崩したらどーするよ」
「まあ、そしたらまた俺が起きるよ」
(う~~~ん、泥寝をどこかで取らないと体がやばいなあ)
「あのね、やはり早起き続きはもうわたしもたない!
 だから、土日はあなたが起きて子どもを起こしてお弁当作って!!
 私はもう起きない!!」
「いいよ、ぜんぜん」
この言葉で 私は愕然とした
少し前ストレステストなるものを Y氏の薬局で測ってみたら
常人が2のところ19,8つまりは20
常人の10倍という最高値をたたき出し
あまりの値に笑うしかなかった私だが
ムスメでさえじゅんじさんに
「れーこしんどいんじゃね」といっても何も言いださないので
ダメだこりゃと、
でも自分で弱音を吐くのは嫌なので
なんとか起きるのだって、家のことだって、買物だってしてきたが
もう限界とキレて私はしない宣言をしてみりゃ
「いいよ、ぜんぜん」
なんだそりゃ
えらそうに「そりゃ女の仕事だあ」というのも業腹だが
全然というなら 自分から言い出してほしかったなあ
ぶっ倒れるまでつかれても 何も感じないのかと呆れてしまう
そこではたと思った
感じないのではなく 考えないのか
考えるということは 何かを変えようと思考することだ
変化の嫌いなじゅんじさんは 考えるのが嫌いなのだろう
確かにじゅんじさんは優しいが
寝込めば心配も世話もするけれど
どこか肝心な事が抜けている

「私が言う前に気付いてほしかった」
とつぶやいたのを聞いたらしい彼は
「すみませんね、察しが悪くて」
それから 家事をするようになった
ただ、目の前でされると 落ち着かないんだな、これが
なんでこんなやり方するんだあ、とか
だ~~~っと続けてすりゃいいじゃんか、効率悪いなあ、とか
別に後でやるのになあ、とか

お友達の方が 言ってするダンナなら上等よと言うけれど
れーこは それでも なんか違うんだけどなあと
つぶやくのでありました
別に自分のペースを守れるならば
家事などたいした労働ではない(でもキライだけど)
たいしたこともしない(やはりキライだけど)
私の望みは 何か違うのよと思うレーコなのだ



世の奥様方は ダンナにどれだけ
物を言えているのかなあ
こんなにポンポン言いたいことを言っているようなれーこでも
肝心なことは言葉にできないでいる
話し合う夫婦じゃないしね
全部いったら上手くいくかといえばそれも正解じゃないしね
正解など どこにもないしね




そうして春はまたやってきて 今度はじゅんじが病に倒れ
家事にいそしむダンナの図は
1週間ほどで終わったのありました

春は変わる季節でもあります
れーこは変われるか
じゅんじは変われるか
ついでに日本は変われるか

それでも 時は流れて 春が来た
桜が咲き 虫が飛び 若葉が出てきた
わが家の藤も枯れたと思っていたら しっかりつぼみが伸びている
善き哉、善き哉
さあわたしも 頑張ろうか
ファイトーーーいっぱーーーつ


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